現在昼休み。おなかもいっぱいになって眠たくなってきましたが・・・。
お昼に豆カレーを食べていてインドやバングラデシュで食べたカレーを思い出してしまいました。そんなときどんなカレーがいいか、どんなカレーがあるのか店のおじちゃんや周りの現地のお客さんに聞きながら注文したものです。
どこの国に行ってもみなさんあると思いますが、じゃあその時どうやって現地の方とコミュニケーションをとるか。やはりそこには言葉が出てくると思います。英語のほかに、個人的に話せると便利だろうな~って思った言葉はスペイン語・ロシア語・アラビア語などで感じたことはあります。
ただ、世界を放浪して言葉に対して思ったことは大きく2つです。
①英語は世界の共通語で必要不可欠
②言葉が話せなくてもどうにかなるしさほど怖がることはない
①と②、なんか言ってること反対なような気もしますが、思ったことを正直に言うとそんなところです。やはり英語は世界の共通語としてももっとも近いものだということを思ったのと同時に、英語を話せても世界の大多数とはコミュニケーションをとれないのだという事実です。
確かに旅行をするには世界を眺めたときに、英語ができれば問題はないような気がします。確かにそれは事実だとは思いますが、逆に英語が全く役に立たないことを多く経験するのもやはり事実です。日本だって東京や観光地を除いて英語が一般的に通じるというには程遠いと思います。
だからこそ重要になるのは「気持ち」や「ボディランゲージ」なのじゃないかなと思います。特に本気で何かを伝えたいときって、言葉なんていりません。日本語でまくし立ててしゃべってると、相手に『こいつは真剣に何かを俺に伝えたいんだな』って相手も察してくれることが多かったです。どこに行っても親切な人は必ずいますし、なんとかなってしまうことが多かったのが経験上も言えます。例外は紛争地やピリピリムードの国境、日本に反感をもっている国などでしょうか。
世界中どこの国もそうだとは申し上げませんが、心の想いを伝えるのに言葉がなくてどうにかなるさ!くらいの気持ちでいるほうが楽なので、自分はそう思うのかもしれません。ひとそれぞれかもしれませんが。
今はいいことに、iPhoneなどスマートフォンがあれば辞書検索なども簡単にできますし、指さし会話帳などもありますから楽かもしれませんね。
今までのは私の個人的な意見ですが、確実に言えることも一つあります。それは「少しでもいいから現地の言葉を覚えると必ずいいことがある。」ということです。自分は南米に数か月いたので、今でもスペイン語は少し覚えていますが、少しだけでも話せると現地の人の反応は違います。もっとも、南米ではケチュア語なども覚えてたほうが得なのですが、それはさすがに覚えてません・・・。
日本人だって、日本語の「コニチワ~」って言われればうれしい。そういう自国語を知っているというだけで、敬意を払ってくれているんだなと好感をもたれることが圧倒的に多かったです。
みなさんは外国にいるときどうされていますかね?