人生のライフプランを再考する

こんにちはアイジュです。もうクリスマス、今年も早いものであと一週間です。私は今日帰国してからずっと忙しいままなので、様々な思いをはせながら、旅行中に今年一年間を振り返ってみていました。

今年一年、私は個人的に色々なことがありました。私の個人的なことを言っても仕方ないと思いますが、ブログやオフ会、ツイッターで触れ合ってくださる皆様へ、私の考えや想いを表すことも意義があることではないかと思い綴らせていただきます。長文乱文お許しください。

私が今年体験したことでもっともみなさまにお伝えすべきことは何かということを考えると、やはり医師としても、個人としても、人の死ということについてもう一度考えていただき、みなさまの人生について再考していただくことかと思います。

健康を投資する考え方については以前お伝えしました。来年は改めて自分の健康のために体を鍛える(定期的な運動をする)ことを検討しています。

ただ、今まで以上に気にすべきこととして、母が肺がんで他界したということもあり、自分がガン罹患のリスクを持つということを意識して過ごしていくことを意識したいと思っています。つまりどういうことかというと、どんな初期であれ、がんになる可能性が高いと肝に命じておくことと共に、仮にがんに数年以内になっても後悔しないような生き方をしていくべきだと再認識したということです。そのためには今まで考えていたライフプランを少し変えていく必要があるのではないかと考えたことです。

私は結婚した時に、50歳前後で妻と再度世界一周しようと決めました。お互いバックパッカー・旅人だった上に世界を見て回る欲求が高かったこと、とはいえ医師としての成長もしたいことや、60代で旅は体力的な衰えもあるのではないかと懸念して、50歳で世界をもう一度周ることを目標に定めてきました。そのプランの一環として投資を始めたのが、そもそもの投資の始まりです。幸いにして子供達も計画的に作ることができました。20代はどういう年にするか、30代はどういう10年にするかなど、10年ごとのライフプランも25歳のときに定め、今でもいつでも見れるように雑記ノートの最初のページに記載してあります。

そのライフプランはあくまでも妻や私の家族(両親やその時はまだ産まれてなかった子供達も含めたみんな)が、元気であることや予想外のことに見舞われないことを前提に計画したものです。
まあようは社会人一年目、医師となったばかりに描いた理想というものだとお考えください。

以前から私はツイッターなどでも呟いていますが、『旅』『家族』『医師』『投資・事業』の4つを柱に人生を考えてきました。

10代で世界を見てその美しさ、広さに感銘を受け心に世界を常に意識する価値観をもたらしてくれたのが旅です。それをベースに医師となり、旅で出会った美人の妻と結婚し、子供も不妊治療などで悩まずとも恵まれ(今やお子さんが出来ずに悩んだり困ったり戦っている方がいかに多く、辛いかをもっと国民は認識して良いと思います)、給料も高く、投資も波はありつつも数千万単位で資産を増やすことができ、書いてるだけだと本当に羨ましがられるような人生を30余年生きてきたと思います。

自慢ばかりに聞こえるかもしれませんが、挫折がなかったわけではありません。私の苦労をみなさまに披露する必要もありませんのでここでは触れないものの、常に前を向いて今を楽しむ性格が幸いし、今まで幸せな、順調な人生を歩んできました。

あと10~15年程度はは日々同じことの繰り返しでつまらないかもしれませんが、親の跡を継いで、今の年収の倍は軽く超える収入を手にし、50代でそのクリニックを売却するあるいは後輩に譲る、それまでに貯めたお金で世界へまた飛び出し、そこで得た知識や見聞を若い世代に広める活動をしていくようになりたい…そんな目標を立てていました。

その根底が崩れたのが今回の母の病気、そして死です。

母の死の前に祖父の死もありました。母の父である祖父は、元気の亡くなった母の姿を見て急速に衰えていきました。恐らく娘が亡くなる姿を見たくなかったのでしょう、ただでさえ2年ほど前に祖母(祖父の妻)が亡くなってから衰えていた体が加速度的に見る見る間に衰え、母に『先にいくからな』といわんばかりのタイミングで急逝しました。突然のことでした。母が亡くなるちょうどひと月前です。

このとき、母は半年ほどほぼ意識がなく、会話することがすでにできませんでした。したがって自分の父親が先に死んだことを知らずに他界しています。うちの母は自他共に認めるファザコンで、父親が自分より先に死ぬのは嫌だな・・・と元気なころにつぶやいていたことがあります。それが現実になってしまった・・・ちょっと普通とは違う、予想外に。

片方は自分の娘の死を見たくないためか自ら命を絶ったようにも思える父親、かたや大好きだった父親が自分の体の身を案じたことで弱り亡くなり、さらには親の死も知らずに死んでいった娘。

なんと悲しいことか…そして辛いことか…。私はこの状況を息子や孫としてみていて、悲劇の小説の中にいるような何とも言えない感覚を味わいました。

この頃から私の投資パフォーマンスは明らかに低下していきますが、激しい動揺があったことは間違いありません。自分ですら、祖父が亡くなるまでと祖父が亡くなった後のパフォーマンスは同じ人がポートフォリオを組んでいるのかとは信じられないような負けっぷりでした。仕事の効率も明らかに落ち、やる気は無くなりました。正直大変失礼ですが、professionalとして対応できていたとは全く思えません。かといってこの医師不足の我が国において、ろくな休みも取れず実質的な連休はなく、ちょこちょこ温泉などは行きましたが、大きな海外旅行にも行けなかったためのストレスもあったと思いますが、何のために医師をやり、何のためにお金を稼ぎ、何のために自分は親から注がれた愛情を子供や妻に与える時間もなく仕事をしているんだろう・・・。それほど人生について考えさせられました。

メンタルには自信のある私が、とにかくメンタル的にやられたのはもちろん母が好きだったこともあるでしょうが、我が一族の中心的存在だったのが母ということもありました。親族が集まるにも母が皆を集めたり、連絡先は父方の親戚ですら母にくるといった人でした。私の妻も母のことを信頼し尊敬してくれ、『アイジュ家は90%がお母さんの支えによってできている』と表現するような家庭でした。母方の親族も母が亡くなってしまい母方の祖父も亡くなったため、妹がなんとか繋ぎ止めて関係を保っているとはいうものの、ほとんど交流は無くなっています。

社交的で友人の多かった母に対して頑固で昭和気質、人付き合いもあまり良くない父という両親の元に生まれたため、性格的にも母に似た私ならびに私の兄弟は必然的母寄りになり、しばしば父親と対立することがありました。そんな中も取り持って、絶妙なバランスで子供達も含めた親族をまとめていたのが私の母でした。もちろん私もガキではありませんし、医者になったわけですから、父親の跡を継ぎ、嫌々ながらも父親と一緒に働く覚悟はしていましたが、それも母がいて上手いこと父親を操縦してくれていたから出来得た関係だったのです。

そんな母が、あまりにも悲しい最期の迎え方をしてしまいました。もちろん我々家族で最期の時間を迎えられましたし、感謝で一杯な中で天国へと旅立ちましたが、やはり私や私の子供達(孫)の成長をもっと見ていて欲しかったですし、時々暴走する父親を操縦していて欲しかったと思っていました。それなのに楽しみにしていた孫のランドセル姿は見れず、自分の父親の死も知らされず理解できず、半年間にもわたり食事をすることもできず、娘の花嫁姿も見ることなく、大学で専攻し人生で死ぬまでにはいきたいと語っていたギザのピラミッドにも行けず、他界しました。

覚悟はしていたものの、私には相当な衝撃でした。医師としても無力さを痛感したのももちろん、今までに経験したすべての症例・患者さんでも感じたことのない衝撃でした。

医者は患者さんが亡くなると、死亡確認ということをします。母もその日の当直医が死亡確認してくれていましたが、私自身でも(瞳孔散大を)確認しました。これほど辛い死亡確認はあって欲しくないと強く思いました。妻か子供達の死亡確認なんて絶対したくありません。

母が亡くなり葬儀も終わり、亡くなる前から考えてはいましたが、落ち着いたのちに妻とも相談して決めたこと。それは大きな人生の転換点になるであろうことでした。

『実家を継がず、医局をやめ、自分の自由に生きてみること』
『日本をまた飛び出すこと』
『長期旅行にまた一度行くこと』

たまたま外国で臨床医をやってみないかとお声をかけていただき運命的な出会いだと感じてお引き受けしたのも、父親から離れ、自由に少し戻ろうかなと思ったことがあります。わたしは心のどこかで『学生時代バックパッカーで好き勝手やらせてもらったから跡を継いでしっかり父親の功績を残そう』とすることが良い息子、良い医者であると思っていた節がありましたが、急にその糸がプツンと切れたような気がしています。

みなさまが投資や仕事をしたりしてお金を稼ぐのは『将来自由になりたいから』だと思いますが、私は急に母といういつでも信頼できた存在の1人を失ったことで『将来じゃなくて今、あるいは近いうちに今より少しだけでよいので自由になりたいな』とわがままを思ってしまったのだと思います。

同僚に海外行きのこと、継がないという相談をした時も、『継いだ方がお金はすごいけど、自由じゃなくなるもんな。アイジュらしい決断だなぁ。』とわたしの心を見透かすような発言をしてくれた同僚がいました。大変だとは思いますが、この人生の転換点ともいえる決断が、私や子供達の自由のために役立つようにしたいと思っています。

またこのタイミングで休職をすれば、長期旅行にも行けると考え、50代で世界一周することを先取りして旅するのも良いだろうと判断して、子供たちの休みを合わせて、かつ自分の職場にも迷惑をかけないよう十分な時間を取る意味で、来年の夏に休職し、旅にも行くことにしました。母のようなことになると、「世界一周あのときしておけば…」と思うかもしれません。リスクを減らすことも大事だと考えるようになったのです。子供達に世界の広さを伝えるにも良い経験だと思ってお金に厭わず散財するつもりでいます。

とはいえ、長生きする可能性もあります!笑

長期的な視点も持った上で、短期的な視点の方向転換をしただけだとも思っています。日本に戻り、父の病院は継がずとも、日本の法律的に医療法人は私に来るものらしいので、新しいクリニックをやったりしても良いかなとも思っていますが、それはわかりません。また、投資や事業への考え方は基本的には変わっておらず、15年で10億稼ぐために幅広く事業や投資を進めていくことを改めて決意しています。もちろん今は株価も悪く、本格的な突入はしてませんし、あえなく突撃しても皆死亡な状況です(T_T) オークファンだけ傷だらけで立っている感じ・・・。

ですので、夏に旅してリラックスするまでは株というよりは事業について真剣に考えていったりすること、今後の数年間の人生プランの練り直しをしていこうかと思っています。

30余年、順風満帆で、大きな事故もなく来れたのは間違いなく母の影響が大きかったと思っています。結婚してから妻と二人三脚でやってきても順調で、『いつか大きなことがおきると覚悟はするけど、それが妻や子供がいなくなることじゃないよな…』と心配して過ごしてきましたが、まさか今年一年でこのような展開になるとは予想だにしておらず、現実は小説よりも奇なりだなぁと感じました。昨年の今頃は母も含めてクリスマスパーティーしていたくらいですからね…。

みなさまもご自身のお身体はもちろん、ご両親やご主人・奥様、子供達を含めた大事な方は心から大切にして過ごしていただきたいと思います。
株の失敗はやり直せますが、人の命はやり直せません。医師として常日頃からこれを目の当たりにしている私ですらここまでの衝撃があったのですから、日頃こういうことを考えない日本人が同じことを経験したら恐ろしいかもしれません。

長くなりましたが、ここでは書けないことも多いくらい、また考えさせることの本当に多い1年でした。辛い、悲しいということもありますが、私にとって今年は間違いなく人生で1番疲れました。やっと今年も終わるのかぁ…

医師としても人としても、皆様が健康であることを祈るとともに、周りを大事に思いやり、何のための投資なのかを再考する良いきっかけになってくだされば幸いです。

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